改めて観て感動した「奈良の大仏」で知られる世界遺産『東大寺』に行ってみた
遠足や修学旅行で奈良に訪れた際には、ほぼ100%奈良の大仏を観に訪れているだろう『東大寺』にやってきました。
かく言う僕も遠足で数回訪れた事が有りますが、その当時は全く東大寺の魅力に気付く事無く見学してしまっておりましたが、寺好き、歴史好きが極まったアラフォーに入り、改めて参拝してみたいと思います。
奈良と云えば、鹿と大仏だけのイメージが強いですよね。
本日は、東大寺への行き方、歴史、見どころを含めてご案内したいと思います。
▼アクセス
東大寺へ公共交通機関で訪れる場合、JR奈良駅もしくは、近鉄奈良駅から奈良交通市内循環バス外回り系統に乗車し「東大寺大仏殿・春日大社前」で下車し訪れる事が出来ますが、各駅からお土産屋さんが立ち並ぶ三条通りを進んで訪れる事をオススメします。
また、車で訪れた場合は200円/30分で利用出来る奈良県営大仏殿前駐車場も有りますが、奈良駅前(JR/近鉄)の駐車場等は1日駐車しても700円程の場所が多数あります。
なので、個人的には駅前に停めて公共交通機関時と同様に三条通りを楽しみながら訪れる事をオススメします。
奈良県は、京都等と違って有名な寺院や観光地等が密集していないから、東大寺を観て次に進むという計画を立てやすくするには車で訪れるのが便利だね。
住所:〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406−1
▼南大門
まず最初に国宝に指定される巨大な『南大門』から見学を始めます。
この門は、奈良時代の天平勝宝四年(752)に創建されたものなんだけど、約200年後の平安時代に台風で倒壊してしまい、そこから約250年後の鎌倉時代の正治元年(1199)に再建されたんだよ。
南大門は、遠くから観るだけでなく、下から上を見上げる様に見学すると大迫力が堪能出来、非常に面白いです。
これは、天井に板を張らずに構造をそのまま見せる大仏様(だいぶつよう)と云われる宋(中国)の建築様式で建てられている為です。
近付いて観ると改めて奈良時代、鎌倉時代と1000年前の時代を経た建造物なんだなぁ~と思える年季の入り方に、ついつい見入ってしまうね。
南大門の左右には高さ8.4㍍もある巨大な木造金剛力士立像が安置されおり厳つく番人をしております。
この金剛力士像は、国宝に指定されていて建仁三年(1203)に、運慶、湛慶、快慶、定覚といった有名な仏師によって僅か69日で造られたと伝わるんだよ。
また、一般的な仁王像は、右に「吽形(うんぎょう)」、左に「阿形(あぎょう)」が安置されるんだけど、東大寺は左右逆に安置されているんだ。
69日間で作ったというから、急ぎすぎて間違ったのか、もしくは何かしらの意味があるかもしれないね。
南大門を抜けて正面を見ると『中門』が見え、その道すがらの参拝客に襲い掛かる鹿達も見受けられます。
こいつら本気で怖いんです。
「鹿せんべい」を持っていると当然に寄ってきますが、それ以外の食べ物なんかでも見られようものなら「くれ~~っ」と襲い掛かってきます。
▼鏡池
南大門から中門へと歩いていく右手に『鏡池』という、紅葉シーズンには是非とも眺めたい池があります。
なんでも、写真に写る池の真ん中にある小島が「鏡」のような形状をしているから、『鏡池』と云われるそうだよ。
水面に東大寺の伽羅が映るとかそういった意味じゃないんだって。
ちなみに、この池が創建時からあったのか、どうかといったのは未だ分かってないそうだよ。
小島の中には、厳島神社の祭神が勧請され祀られております。
東大寺は、紅葉を楽しむのにも持って来いの場所となっております。
▼中門
そして、江戸時代の享保年間(1716年-1736)に再建され、重要文化財に指定される『中門』の前にやってきました。
ちなみに、ココ迄は無料で見学する事が出来ます。
中門の両脇から伸びる回廊は、大仏さんがいる大仏殿まで続きます。
門を正面に見て左手に向かって歩いていくと大仏さんが観られるる有料エリアへの入口があります。
▼拝観料 / 拝観時間
受付で入場チケットを購入し大仏様の拝観に向かいます。
■拝観料
大人(中学生以上) | 600円 |
小人(小学生) | 200円 |
■拝観時間
4~10月 | 7:30~17:30 |
11~3月 | 8:00~17:00 |
▼金堂(大仏殿)
入場口から入ってすぐに凄まじく巨大なお堂が見えました。
このお堂の正式名称は『金堂』と云い、中に大仏が安置される為、通称で「大仏殿」とも呼ばれております。
サイズ感を見てみると正面の幅が約57m、奥行き約50m、高さ約50mと余りにも巨大で、近代にアメリカやスペインに大仏殿を上回る巨大な木造建築が建造されるまでは世界最大の木造建築として世界的に知られておりました。
僕がここに来るのは小学生の頃に遠足で来た以来の約30年ぶりです。
当時はなにも感じなかったですが、歳月を経て大人になった目で改めてみると圧巻の一言です。
国宝に指定される大仏殿の現在の姿は江戸時代の宝永六年(1709)に再建されたもので、当初のものは、聖武天皇の発願により大仏の鋳造が完了した後に建立が始まり、奈良時代の天平宝字二年(758)に作られ、現在の姿よりも幅が30%程更に大きかったそうです。
奈良時代に建立された歴史ある東大寺ですが、その後に2度の兵火によって焼失させられております。
一度目が建立から400年程経た治承四年(1181)頃に、平家政権に反抗的な態度を取った事により平清盛の命によって東大寺や興福寺等の奈良の寺社勢力は、焼き討ちに会います。
世に云う南都焼討によって、大仏殿はおろか奈良の市街地の大半を焼失してしまいました。
しかし、この行為が平家政権の人心離れを大きく引き起こし、源氏によって滅ぼされてしまいました。
次代を担った源氏政権は成立と同時頃に平家との色の違いを鮮明にし東大寺を再建させたと云われており、建久六年(1195年)には大仏殿落慶供養が行われ、その席には時の天皇や源頼朝も臨席したと云われてます。
そして、二度目は戦国時代に入り松永久秀と三好三人衆や筒井順慶らが戦った「東大寺大仏殿の戦い」の最中に、三好軍の中にいたキリシタン信徒が寺院破壊の目的で放火が原因で焼失してしまっております。
その後、数十年の間は再建されませんでしたが、平和な江戸時代に入り再建・復興され、今日に伝わる東大寺の姿へとなりました。
▼金銅八角燈籠
大仏殿の正面にはこれまた巨大な『金銅八角燈籠』が置かれております。
単品で国宝に指定されるこの燈籠は、これまで幾度も修復されてきておりますが奈良時代のもので非常に古いものですので、大仏殿へと一直線に行きたくなりますが、ココで足を止めて見学される事をオススメします。
次に、大仏殿正面真下で一旦立ち止まり上を見上げると大仏様の顔の位置に造られた扉が有ります。
この扉です。 この窓は『観相窓』といい普段は閉じられておりますが元旦や特別な日には開帳され大仏の尊顔を観る事が出来るそうです。
何もかものスケールがデカいので、改めて観る事でその規模感を感じる事が出来ます。
では、いよいよ大仏殿内部に入ります。
▼大仏(盧舎那仏像)
大仏殿に入って直ぐに御本尊で国宝に指定される『大仏(盧舎那仏像)』が安置されております。
まじまじと観てその巨大さに圧倒されます。
この大仏は、聖武天皇により奈良時代の天平十五年(743)に発願されてから約20年の歳月と260万人の人間、現在の貨幣価値で約5000億円という途方もない力を注がれ天平勝宝四年(752)に完成しました。
聖武天皇がこの大仏を建立されたのは、当時の日本で災害や疫病(天然痘)が多発した為、仏教の力で国を守るという意思の元、日本全国に国分寺が建立され、それらの総本山として造られたと云われております。
しかしながら、その様な困窮する時代に膨大な資源(お金、人)を投入した為に、困窮した人々が反乱を起こしたとも云われております。
国家や国民の安念を祈念し建立された大仏ですが、その後の平安時代の治承四年(1180)と戦国時代の永禄十年(1567)に大仏殿もろとも2回も焼失してしまっております。
その為、台座等に当時のものが残る程度で大部分が鎌倉時代や江戸時代に修復・復元されたものとなっております。
ちなみに、大仏の高さは約14.7㍍もあります。
▼虚空蔵菩薩像
大仏様を参拝後、大仏を軸にぐるっと回るように配置された順路に沿って歩きだすと最初に『虚空蔵菩薩坐像』が観られます。
この仏像は、「如意輪観音坐像」と共に大仏の左右に脇侍(わきじ)として安置される一対の内の一体で、江戸時代の宝暦二年(1752)に像立されたものです。
奈良時代が起源のモノに囲まれているから江戸時代と聞くと新しく思っちゃうけど、約300年も前の仏像なんだよね~
虚空蔵菩薩像を参拝後、大仏様の横を歩いて行くと、凄まじいストレート階段がありました。
もちろん関係者しか登れないですが、足を置く足場が短く成人男性だと踵(かかと)までは付かないで高さ47㍍を登るという命懸けの階段が面白かったのでパシャリ。
▼広目天像
金堂内奥まで歩いてくると、隅には『広目天像』が安置されておりました。
この像も江戸時代頃のもので、金堂内に安置される四天王像の内の一体です。
ちなみに、像は広目天、多聞天、持国天、増長天の計4体がありますが、完成しているのはこの「広目天」、「多聞天」だけだそうです。
「広目天像」の横には東大寺のレプリカが展示されておりました。
ここで興味を惹いたのがこの写真に写る両端の塔です。
両方の塔は既に焼失しており観る事が叶わないですが、建立当時はこの様な壮大なスケールの寺院だったという事です。
考古学の道に進まなかった僕ですが、こういったのを観るとロマンを感じ、その道を行くときっと面白かったんだろうなぁと思います。
カメラの技量が無い僕が、薄暗い中で撮影した為にボケボケになっちゃいましたが、大仏様の後背です。
大仏のフロントも迫力がありましたが、背中も十分に迫力があります。
▼柱の穴くぐり
そして、大仏様の鼻の穴と同じサイズの穴が柱に開けられ、東大寺のアトラクションとも言える『柱の穴くぐり』の前にきました。
「こんなの一部の日本人しかやらんやろっ」と思っておりましたが、列をなしているのは大半が中国の方々でした。
(観て来たガイドブックに何と載っているのか気になりますね。)
週末ともなると10分、20分は当たり前の行列が出来る「穴くぐり」だけど、平日だと2,3分の行列が出来る程度だよ。
(それでも並ぶんかいっ!!)
東大寺で非常に有名な穴ですが、この穴の意味やご利益を知る人は余りいないので簡単に説明します。
先ず、この穴にはちゃんと意味があります!!(あるんです。ただ開いているという訳や設計ミス等ではありません。)
この穴が開いている柱は大仏殿の北東に位置する場所にあります。 これは、中国から伝来した陰陽道で北東は鬼門といい、不吉な方角である為、邪気を逃す目的で穴を開けたとい云われております。
次に、この穴をくぐり抜けて得られるご利益は、「厄除け」、「無病息災」、「祈願成就」と云われておりますが・・・
いつ、なんどきから云われる様になったのは不明です。(効果は未知数)
穴の大きさは横幅が30㌢×縦幅が37㌢なんだよ。
だから、成人男性だと通れないかもしれないけど、女性だと多分通れると思うよ・・・ふふふ
▼多聞天像
穴くぐりを観たあと、直ぐ側に安置される『多聞天像』の前にきました。
こちらは、先程ご案内した四天王像の「広目天」と共に完成された江戸時代の像です。
▼如意輪観音坐像
立て続けとなりますが、順路に沿ってのご案内の為仕方がないのですが、先程ご案内した脇侍「虚空蔵菩薩坐像」の片割れである『如意輪観音坐像』です。
こちらも同じく、重要文化財に指定されております。
大仏様の横にあるから「大仏」とは云われないけど、そこらの寺院にあったら十分にデカすぎるサイズの観音様なんだよ。
そして、順路に歩くのも最後となり大仏様の右手からのお姿に手を合わせ大仏殿を後にします。
▼御朱印
勿論、最後には記念スタンプ気分になりつつありますが御朱印を頂きます。
※料金は300円と一般的な金額です。
気分は浦島太郎、大仏殿を出ると夕暮れ時となっておりました。
あらためて「冬は日が暮れるのが早く5時には真っ暗になるな~」と、古都奈良でしみじみと思います。
▼賓頭盧尊者像
ふと大仏殿の脇に『賓頭盧尊者像』(通称:おびんずるさん)が安置されておりました。
こちらの像も明らかに古かったので観てみると江戸時代に造られたものだそうです。
おびんずるさんは、お釈迦様の弟子で徳の高い高僧と云われていて、昔から体の痛い場所と同じ場所を撫でると、その痛みは治るといわれているよ。
おびんずるさんにバイバイをして、大仏殿を振り向くと夕暮れに染まる大仏殿が綺麗だったよ。
さて、真っ暗になる前に帰る事にします。
薄暗くなったお土産屋さんの前で、鹿たちが最後の営業をしておりました。
▼さいごに
以上で改めて観て感動した「奈良の大仏」で知られる世界遺産『東大寺』のご案内となります。
学生時代に訪れた時は折角の国宝にも感動も何も在りませんでしたが、大人になって改めて観ると感動を得る事ができました。
皆様ももう一度訪れてみては如何でしょうか。
ご精読ありがとうございました。
鹿ーーーーーっ!!
▼最寄り宿
スーパーホテルJR奈良駅前・三条通り
無料朝食をご提供♪ソフトドリンク&アルコールが飲み放題のウェルカムバーを時間限定で実施!
630-8244
奈良県奈良市三条町500-1
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